何で今の仕事をしているか。

2020/07/03

私は、幼少期言葉を話すのが遅く

親が心配して病院へ行かせたが

異常無し

姉が2人いて何でもお世話してくれ

ていた環境が話さなくてもいい状態

だったので環境を変えたら話すようになったとのことでした。

小学生の頃は、ゲームや砂遊びが好きでした。

小学生6年生で友達の影響で野球を始めて初めての試合でランニングホームランを打ったのが嬉しくて

中学生でも野球をしていました、中学時代の野球はまだ楽しく野球がやれていました、その仲間たちは今でも地元で遊んでいます。

高校も本格的に野球がやりたくて当時大森工業高校へ進学しました。

やはり高校の練習は厳しく一年生が5人になってしまいましたが、この5人で一生懸命に3年間野球をやりました。

その3年間の最後の夏の大会の1週間前に練習で2塁ランナーをしていて、けん制球が右肘に当たり怪我をしてしまいました、右肘は動かなくなり、すぐに近くの病院で検査をしたが骨には異常はないが野球はできないと言われて、泣きながら帰宅して親父に相談しました、親父は鍼灸師で今まで怪我などカラダのケアしてくれていましたので私の身体の事は、わかってくれていたせいか、(晃一大丈夫試合までに直してやる❗️)と言って治療をしてくれたおかげで試合までに良くなり試合に出場することができたのです。

しかし右肘は本調子ではなかったので怪我する前は1番バッターでしたが2番バッターで先発、それが良かったのか力が抜けて、小細工が得意な私は活躍でき、チームの皆んなも力を発揮して4回戦まで勝ち進みました、欲しくも都立大島高校に1体0で負けてしまいましたが、良い高校野球生活が過ごせて嬉しい涙が出てしまいました。

親父に右肘を治してもらい野球ができた喜びを後輩達やスポーツをやる人々など怪我や病気で困っている人を治して喜ぶ事をしたいと思い、私も治療家の道を進みました。